いやなちから







 突然告白することでは無いかもしれませんが、お許しください。
 私は、特殊な能力を持っています。
 持っていて得するかと言えば、そんなことはないです。むしろ面倒です。
 ですが、能力を持っていることから、不思議なことに、警察の方からよく頼りにされます。

 それはさておき、今日も独りで安楽椅子に揺られながら本を読みます。本はいいですよ。アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」は、分かりやすい構造ながらも、何度読んでも飽きが来ません。むしろ落ち着くのです。
 殺人事件の物語で落ち着くというのも、なんだか不謹慎な感じがしますね。
 だけど、残念です。
 独りの自由な時間もそろそろおしまい。なぜなら刑事の山本さんが来るからです。もう声も聞こえます。
「神さま!!」
 ほら。
 彼はいつも息を切らしています。刑事さんというのは、概して息を切らす生き物なのでしょうか。そしてYシャツもよれよれでちょっと臭います。
 ついでに言っておきますと、彼が発した「神さま」とはどうやら私のことのようです。最近になってわかりました。
 私は人間なのに。
「どうしたのですか?」
 私が訊ね、安楽椅子に座りながら足をぷらぷらさせていますと、山本さんは早口で私に事情を説明してくれました。
 細かい事情も含めて説明してくれたのですが、まあ要するに、近くのビルの屋上で、飛び降り自殺を図ろうとしている男性がいるってことです。
 椅子から降りると、すぐさま山本さんは私の手を引っ張り、パトカーに備え付けられたチャイルドシートに私を乗せて、現場に向かいました。
「もう少し、落ち着いてください」
 交通事故を起こしそうなほど、危なっかしい運転をするので、私は注意してあげました。



 現場には、凄い数の人だかりが出来ています。
 騒ぎを起こした張本人は、あと一歩足を進めれば、真っ逆さまに落ちてしまうような状況で、ついでに、屋上の非常口にも刑事さんが既に待機しているようです。
(しにたくない)
 小さな、弱々しい声が聞こえてきました。
 自慢に聞こえてしまうかもしれませんが、私は特殊な能力でもって刑事さんに協力し始めてから、結構長いです。ですから、こういう事件も珍しいことではありません。
 だから、今の“声”が何なのか――すぐに見当がつきます。
 それは、飛び降り自殺を今まさに図ろうとしている人間の、“心の声”です。
 先程、私が言った特殊な能力とは、“人の心の声を聞くことができる力”なのです。
(しななければ……でも、いやだ……)
 可哀想に。
 手すりにしがみつきながら、私達のいる下を恐ろしそうに眺めているではありませんか。野次馬も大勢いて、警察の方はメガホンで耳が痛くなるくらいの声量で、怒鳴っています。これでは死ぬ以外に逃げ道などありません。
 きっと最初は死んでやると息巻いていたのに、長いことあんな状況に在ったものだから、生きたいという気持ちになったというよりは、死が怖くなったのでしょうね。
「神さま、やつは本当に死ぬ気でしょうか」
 山本さんは私に聞いてきました。
 私は首を横に振って、「今のところ、死ぬよりは生きたいでしょうね」と言ってあげました。
 そう聞くやいなや、山本さんはメガホンを手にとって、
「今なら、何事も無く君は元の生活に戻れる! それでおしまいだ!」
 私は、あまりに大きな声を近くで聞いたので、思わず両耳を手で塞ぎました。でもキーンとなりました。

 やがて裏に回っていた警察官が、彼を保護しました。泣きじゃくっているようです。どうやら山本さんの説得というよりは、長時間の緊張に、彼が耐えられなくなったのかも知れません。
 だけど山本さんは誇らしそうです。
(……よかった)
(助かった……)
 こういう心の言葉を聞いているうちはいいのですが、やがて――
(……人騒がせな。結局……飛ばねえのかよ)
(死ねばいい……のに)
(ちっ、面白くねえ……度胸のないやつ)
 これが面倒です。こんなつまんないことを、野次馬の方々が思っているかもしれないし、もしかしたら、警察官が思っているかもしれない。だから、人と会うよりは本を読むほうが好きなのです。

 山本さんは、私が力を貸すと、その代価としてラーメンを食べさせてくれます。今日も例外ではありません。いつもの「麺屋いじげん」という駐車場の狭いラーメン屋に、お邪魔しました。
 ここのラーメンはちょっと脂っこいので、チャーシューメンを頼んだ時には、流石にラーメン好きの私でも限界が見えたのを覚えています。チャーシューの厚さが異常でした。
 まあ、今日はちょっと胃の具合も考えて、あっさり塩ラーメンを頼みます。
 私が水を飲んでいると、山本さんは席を立ちました。
「神さま、ちょっとトイレ行ってきます。すぐ戻ってきますんで」
 そう言って、彼はお手洗いに向かいました。改めて山本さんの背中を見ると、襟が中途半端に折れているのが気になり始めました。
 すると、
(殺して……やる……)
と、何やら物騒な心の声が聞こえます。
 ラーメン屋の騒がしさの奥底に、静かな殺意が隠れていました。
 ですが、事件が起きなければ、警察は何にもできません。思想の自由は誰にでも、保障されているのです。
 だから、しょうがないんです。
 私は水を全部飲み干して、氷を一つ口に含みました。
(刑事……)
 私は口の動きを止めました。
(刑事の……山本……)
(俺を……ブタ箱に……)
(殺す……)
 山本さんが、命を狙われている――。
 大変です。
 私は口の中に氷を入れていたことを、暫く忘れていました。
 心の声は聞こえても、なかなかそれの持ち主を見つけることは難しいので、(殺してやる……)辺りを見回して、怪しい人物がいないか確認しました。そういう目で見ると、誰もかれも怪しく見えるから不思議です。
 あ。
 中でも特に怪しい人物がいました。
 と思ったら、それはトイレから帰ってきた、山本さんその人でした。
 冗談はさておいて、「山本さんが今までに捕まえた人間、このラーメン屋さんのお客さんの中にいませんか」と彼に小さな声で尋ねました。すると山本さんが、バカ正直に辺りを見回すので、困ってしまいました。
「いませんね」
 そこで私はおそらく、不満そうな表情を見せたのだと思います。山本さんが慌てましたから。
 しかし、心の声は絶対ですから、この中に山本さんを憎んでいる人物が、いるはずなんです。
「お待たせしました! 味噌ラーメンと塩ラーメンです!」
 威勢の良い店員さんが、ちゃんとどっちがどのラーメンを頼んだかを忘れずに、私の前にちゃんと塩ラーメンを置いてくれました。流石ですね。
(殺してやる……)
 私は溜め息をつきました。ラーメンくらい、耳障りな心の声を聞くことなく、食べさせてください。
 心の声が聞こえる能力は、こういう時も面倒なんです。

 ――あら。
 ちょっと待ってください。今の殺してやるは明らかに大きい心の声。“つまりは近くの人間の心の声”。
 ということは、なるほど。
「こほん」
 咳払いを一つした私は、山本さんに、ラーメンを運んできた店員さんを見てください、と目で合図しました。
 山本さんの目は、面白いくらいに丸くなりました。
「おお! 宮沢!」
 明らかに、店員さんは気まずそうな表情になりました。予想通りの反応でしたけど、もっと空気の読める山本さんになったほうがいいですね。
「お知り合いですか?」
 私は詰め寄りました。
「ええ、神さま。こいつは昔コロシを犯しましてね。あなたが言ったとおり俺が昔逮捕した男です。ですがもう出所して」
 山本さんは、宮沢という店員さんの肩を掴んで、ニッコリと微笑み、
「もうこんなに立派に、働けているじゃないか!」
と言いました。
(ふざけんな……お前のせいで、俺は……)
 もう確定ですが、なんだか彼の更生を信じている山本さんが、可哀想な気もします。
 まさか、あの声の主が店員さんだとは思いませんでした。ですが、すぐにお客さんの心の声だと思い込んだ私も、迂闊でした。姿が見えなかったのも、厨房に隠れていたからだったんですね。
「店員さん」
 私が丁寧に呼びかけると、店員さんは明らかににわか仕込みの、質の悪い笑顔を私に向けました。
「な、なんでしょう?」
「この山本さんの頼んだ味噌ラーメンを、食べてみてくださいませんか?」
「ええ!?」
(なんだこの子供……!)
 山本さんが、何が何だか分からないような表情で、私と店員さんを交互に見ています。
「もちろんお代はちゃんと山本さんが払いますから、ちょっと店員さんに食べてもらいたいんです」
 私が少し大きめの声で言うと、周囲が少しだけ静かになりました。
 ゴクリと、店員さんの生唾を飲む音が、聞こえます。
 額からダラダラと、汗も噴き出ています。
「……毒入りのラーメンは、やっぱり食べられませんか?」
 私が核心を突くと、店員さんの目がカッと大きくなりました。当然ながら、山本さんはもっと驚いています。
 間違いありません。山本さんのラーメンは毒入りラーメンです。おそらく、即効性の毒薬ではなく、ジワジワと効いてくるタイプのものでしょう。店内で死なれたら、毒を入れたのは店員の誰かですと、言っているようなものですから。
 ちゃんと、私と山本さんが頼んだそれぞれのラーメンを覚えていたのも、合点が行きました。まさかこんな幼い少女(みたいな外見をした私)に、毒を飲ませるわけにはいかない! という良心が働いたかどうかはともかく、対象は山本さんなのですから、きちんと狙わないと、色々無駄が生じてきます。
「な、なな何を言っているんです。い、今はその、お腹がいっぱいで……」(余計な事を言うな……!)
「一口でいいんです」
 強引な私の口調に、やっと山本さんが状況を呑み込んだようです。キッと店員さんを睨みつけた彼は、まさに刑事と言わんばかりの迫力でした。
 ここぞとばかりに山本さんは、あまり頑丈ではなさそうな木の机を思いっきり叩き、「宮沢、食え!!」と怒声を浴びせます。
 店員さんの口はパクパクと金魚のように開閉し、彼の手足――いえ、身体全体が震え出します。あまり良い精神状態とは言えないですね。
 その時。
 キラリと光るものを手に持って、私の前で振り翳してきました。
(死ね!)
 ――死ぬかと思いました。
 ……。
 でもやっぱり、死にませんでした。
 店員さんが、ナイフを私に向けて振り下ろすよりも早く、頼もしい刑事さんが、店員さんの足を払って見事に転倒させたからです。
 そして今日一番のかっこいい顔を見せながら、店員さんの腕を背中に回し、手錠を嵌めたのです。
 
 それから間もなくして、警察の方々がラーメン屋さんに乗り込んできました。
 警察の職権によって、容赦無く客は店から追い出され、きっと毒入りラーメンは今後の噂にもなるでしょう。
 一番気の毒な店主さんの心の声が、私は聞こえないふりをしました。



「神さま、今日はありがとうございました!」
 山本さんが深々と頭を下げました。心なしか、いつもよりも深かったです。
 ですがお礼を言われると、反応に困ってしまう性質なので、「いいです」とだけ言っておきました。
 山本さんの心の声は、私に対してもっとすごいことを言っていますが、恥ずかしいので省略します。
「神さまは、命の恩人です!」
「山本さんも、私の命を救ってくれました。ありがとうございました」
 私も山本さんに負けないくらい深々と、頭を下げました。山本さんもちょっと恥ずかしそうにしていたので、今日は珍しくおあいこでした。
「ラーメン、食べ損ねましたね。ほかの店行きましょうか?」
 山本さんがボリボリと頭を掻いた。角刈りでサッパリしているとは言え、頭は洗ったほうがいいですよ。
 まあ、あんなこともあり、今はラーメンという気分でもないので、私もここは素直に
「お寿司がいいです」
と答えました。どうせ回転寿司でしょうけど。





――了





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